現代における「養生」の意味 2
「養生とは何か」 西平直氏インタビュー
聞き手/ 記事 :江渕 敦
哲学から「養生」へ向かったきっかけは何だったのでしょうか
――先生の研究が「養生」の方向へ向かったきっかけを教えてください。
西平 もともとは哲学です。しかも西洋哲学でした。関心があったのは人の一生です。ライフサイクルという言葉で考えていたのですが、次第に哲学だけでは捉えきれない広がりを感じ、同時に、母語である日本語の思想に関心が向かいました。そして、世阿弥に出会ったわけですが、能そのものに興味があったわけではありません。私が関心を持ったのは「稽古」です。「師匠と弟子の関係とは何か」、「人はどのように学ぶのか」、「稽古にはどのような順序があるのか」。そうしたことを考えていました。
――「稽古」から「修養」、そして「養生」へと関心が広がったのはなぜですか
西平 稽古について考えているうちに、一つ気になったことがありました。稽古とは、ある特定の技術や技能を身につけるためのものです。ある意味では、それなりの余裕がある人でなければ続けることができません。しかし、日本の庶民の暮らしの中には、もっと幅広い知恵があったはずです。そこで「修養」や「養生」という言葉に関心を持つようになりました。稽古には、思想としての体系があり、何を学びどの順序で身につけるのか、学び方が整理されています。ところが養生は少し違います。その都度の知恵の積み重ねであり、生活の中で育まれてきた知恵が集まっている。そのため、稽古と同じような体系性を求めると、養生は曖昧な・いい加減な知恵に見えてしまうのですが、それが養生の特徴です。稽古が「学ぶ」ものであるとすれば、養生は「自ら生きる」ことに近いのです。
養生には「流派」がないのでしょうか
――養生には独特の面白さがありますね。
西平 養生には流派がありません。もちろん教えはありますが、師匠について修行するという発想は強くありません。暮らしの中で受け継がれてきた知恵なのです。ただ不思議なこともあります。養生というと、庶民の知恵のように思われますが、一方で王家や武士など上の階層でも非常に重視されてきました。曖昧なようで、しっかり根付いている。体系化されていないようでいて、長く受け継がれている。養生にはそうした不思議な一面があります。
――吹けば飛びそうなのに、雑草のように残っている感じですね。
西平 本当にそうです(笑)。
中国から伝わった養生は、日本でどのように変化したのでしょうか
――先生は以前、中国から伝わった養生思想が日本で変化したとお話しされていました。
西平 海外からの思想が日本に入ってくる時、一つ特徴があります。日本では極端なものを受け入れない、あるいは、受け入れてゆく過程で何らか「やわらかく」するのです。例えば、中国には不老不死を求める思想がありました。不老不死の薬を飲んで、実際に命を落とした王もいました。しかしそうした思想を受け入れる場合、日本では、極端な部分には触れずに、人々が受け入れられる側面だけを上手に取り込み、暮らしの中で使える形へと変えていったのです。養生がまさにそうでした。古代中国の養生思想と比べると、貝原益軒の養生思想は、ある意味で「常識的」です。私はそこに、日本人独特の感覚があるように思っています。
貝原益軒は自然とどのように向き合っていたのでしょうか
――養生を語る上で、貝原益軒の存在は欠かせません。
西平 益軒は非常に興味深い人物です。儒学者ですが、机の前で古典を読んでいるだけではなく、外へ出て自然を観察する。旅をする。植物や動物を調べる。そうした博物学的な関心も持っていました。しかし、近代科学のように自然を分析し、加工し、新しいものを作り出すことはしません。自然を支配するのではなく、自然と付き合う。自然を利用するというより、「お借りする」という感覚に近かったように思います。
なぜグリーフケアの研究へ向かわれたのでしょうか
――先生は現在、上智大学グリーフケア研究所に所属されています。養生とは少し違うテーマにも見えます。
西平 そうですね。グリーフケアとは、悲しみや喪失を抱えた人に寄り添うことを学ぶ場です。グリーフケアという言葉は新しいですが、やっていることは昔から自然に行われてきたことでもあります。昔は地域のつながりがありました。家族のつながりも今より強かった。誰かが亡くなれば、周囲の人が自然に支えていたのです。ところが現代では、そうした関係が弱くなりました。ですから改めて「グリーフケア」という名前をつけて学ぶ必要が出てきたのだと思います。新しい課題というより、失われたものをもう一度見つめ直しているのかもしれません。
養生とは結局何なのでしょうか
――先生は「悲嘆と養生」というテーマでもお話しされています。
西平 養生とは何か、いろいろ考えたのですが、結局は「自分のからだの声を聴くこと」ではないかと思います。きっかけは卒業生からのメールでした。出産後、助産師さんから「しっかり養生してくださいね」と言われたそうです。その時、その卒業生は、「自分のからだの言うことを聴きなさいという意味だと思いました」というのです。なるほどと思いました。養生とは特別な健康法ではありません。まず自分のからだの状態に耳を傾けること。そこから始まるのではないでしょうか。
ヘルスケアとウェルネスの違いをどう考えますか
――私は最近、ヘルスケアとウェルネスの違いについて考えることが多いのです。ヘルスケアは制度や社会が考える健康であり、ウェルネスは生活者自身が主体になることではないかと感じています。
西平 ウェルネスのそうした見方はとても重要だと思います。ただ、養生の場合はもう一歩先があります。生活者が主体になるだけではありません。ものの見方そのものが変わるのです。私たちは普通、「自分が体を使っている」と思っています。しかし養生では、「体の声を聴く」という方向へ向かいます。主体的に管理するというよりも、自分の体との対話が始まる。そして、徐々に「からだ」が主人公になってゆく。頭や意識が主人公なのではなくて、「からだ」が主人公になってゆく。そこに養生の特徴があるように思います。
日本型ウェルネスツーリズムの特徴はどこにあるのでしょうか
――欧米型のウェルネスツーリズムを見ると、多くのプログラムが用意されています。一方で、日本型は少し違うようにも感じます。
西平 どう違うと感じていますか。
――選択肢は用意されているのですが、最終的には本人が選ぶ。自分の体の声を聴きながら過ごす。そんなイメージがあります。
西平 なるほど。確かに前半はプログラムがあってもよいと思います。しかし後半は「どうぞご自由に」という時間があってもよいのかもしれません。「自分で感じる」、「自分で選ぶ」。その余白が大切なのだと思います。
「よろしき分量」とは何でしょうか
――それはまさに「ほどほど」ということですね。
西平 貝原益軒は「よろしき分量」と表現しています。「食べ過ぎてはいけないが、少な過ぎてもいけない」、「働き過ぎもよくないが、休み過ぎもよくない」。しかし、その「よろしき分量」は人によって違います。ある人には適量でも、別の人には多過ぎるかもしれない。ということは、養生には、初めから決まった正解がありません。一人ひとりが自分にとっての「よろしき分量」を探していく。それが養生なのだと思います。
養生は禁欲的なのだと思っていました
――私は以前、養生という言葉に少し禁欲的な印象を持っていました。
西平 そう思われることは多いです(笑)。しかし実際には少し違います。養生には「足るを知る」という考え方がありますが、それは我慢することではありません。むしろ楽しむことが大切なのです。益軒も単なる節制を勧めていたわけではありません。むしろ「足るを知る」のは、長い目で見た時に、長く上手に楽しむためなのです。「より美味しく食べるためにはどうしたらよいか」、「より楽しく暮らすためにはどうしたらよいか」、「そのために少し控える」。そういう発想でした。養生とは、我慢するためのものではなく、よりよく生きるための知恵なのだと思います。
ブータンで感じた幸福観とは何だったのでしょうか
――以前お話しされていたブータンでの体験も印象的でした。
西平 ブータンで興味深いのは、生まれ変わりという考え方です。みんなが「生まれ変わり・転生」を当然のこととして考えているのです。私たちは「科学と矛盾しないのか」と考えてしまいます。ところが、あちらの人たちは特に問題にしません。「別に」という感じなのです(笑)。その時に思いました。自分の前提をそのまま持ち込んでいる限り、相手の世界は理解できないのではないか。異なる文化を理解するということは、相手を変えることではなく、自分の見方を問い直すことでもあるのだと思います。
森林や自然が注目される背景をどう見ていますか
――最近は森林サービス産業や自然を活用したメンタルヘルスへの関心が高まっています。
西平 自然を求める人は確実に増えているように思います。それは特別な場所でなくてもよいのかもしれません。例えば日比谷公園を歩くだけでも気分は変わります。「木々を眺める」、「風を感じる」、「季節の移ろいに気づく」。そうしたことだけでも、人は少し落ち着きを取り戻します。私たちは思っている以上に自然の影響を受けながら生きているのではないでしょうか。
なぜ「大切なことは時間がかかる」とお考えなのでしょうか
――養生もそうですが、こうしたことはすぐに成果が見えにくいですね。
西平 そこが難しいところです。本当に大切なことは時間がかかります。ところが現代社会は、すぐに結果が出ることを求めます。数字で結果を示すこと。短期間で効果が見えること。そうしたものが優先されやすい。しかし、人が変わることや、暮らしが整うことは、本来ゆっくり進むものです。養生も同じです。今日やったことが明日すぐ結果になるとは限りません。だからこそ、それをどう支えていくかが大切なのだと思います。
養生とパーソナライズはつながるのでしょうか
――先生の著書にあった「平均的な健康では、一人ひとりの健康はわからない」という言葉が印象に残っています。
西平 養生は、一人ひとり違います。同じことをしても、合う人もいれば合わない人もいる。ですから、養生は「指導」というよりも、自分のからだとの「やり取り」なのです。正解を教えることではありません。その人自身が、自分にとっての適切な「分量」を探していく。その過程を支えることが大切なのです。平均値は参考になりますが、最後は、その人自身のからだや暮らしに問いかけることになります。そこが養生の面白さだと思います。
医者は本来どのような存在だったのでしょうか
――最近の医療現場では、医師がパソコンばかり見ているという声もあります。
西平 そうした場面は確かにありますね(笑)。本来の医療はもう少し違っていたのではないかと思います。昔から「仁術」という言葉があります。医者は病気だけを診るのではなく、人を見る存在だったはずです。そして人を見るためには、まず話を聞かなければなりません。もちろん現代医療には検査やデータが必要です。しかし、それだけでは見えないものもあります。「相手が何を感じているのか」。「何に困っているのか」。そこに耳を傾けることも、医療の大切な役割なのではないでしょうか。
養生と美容にはどのような関係があるのでしょうか
――養生と美容は近いのでしょうか。
西平 近いと思います。古代中国の王家や貴族の養生を見ていくと、その半分は美容の話と言ってもよいくらいです。もちろん庶民の養生とは少し違いますが、美しくありたいという願いと、健やかに生きたいという願いは、本来それほど離れたものではありません。現代でも同じではないでしょうか。美容と健康を別々に考えるのではなく、一つの流れの中で捉えることもできると思います。
最後に、「養生」とは何だとお考えですか
――最後にお聞きします。先生にとって養生とは何でしょうか。
西平 「自分のからだの声を聴くこと」、「ほどほどを知ること」、「自然と付き合うこと」、「楽しむこと」、そして、「人それぞれ違うということ」です。養生は特別な健康法ではありません。生き方そのものに関わるものです。どう生きるか。どう暮らすか。自分にとっての「よろしき分量」を探し続けること。私は養生とは、そのような営みなのだと思っています。

expert西平 直(にしひら・ただし)
京都大学名誉教授。哲学・教育人間学を専門に、「養生」「稽古」「修養」を重要なテーマとして、日本人の生き方や死生観、学びの本質を探究している。現在は上智大学グリーフケア研究所特任教授として、喪失や悲しみを抱える人々への支援にも取り組む。著作に『養生の思想』『世阿弥の稽古哲学』『無心のダイナミズム』など。
