
伊豆から始まる“温泉イノベーション”の現在地
3月12日、静岡県主催による「令和7年度 ICOIプロジェクト成果発表会」が、沼津市で開催された。ICOIプロジェクトは、「伊豆ヘルスケア温泉イノベーションプロジェクト」の略称であり、日本語の“憩い”にも重ねられたネーミングが象徴するように、伊豆の豊かな温泉資源を核に、地域産業や新しいヘルスケアサービスの創出を目指す取り組み。
開会にあたり、静岡県経済産業部理事の渥美寿之氏は、静岡県が全国有数の温泉県であり、とりわけ伊豆地域に源泉の約9割が集中していることを紹介したうえで、「訪れる人が身も心も元気になる伊豆地域の実現」を目指し、県としてICOIプロジェクトを推進してきたと述べた。2025年度は、ビジネスモデル創出に向けた補助事業、ICOIフォーラムの開催、温泉旅館オフィス化事業、さらにタイとの国際連携など、多面的な事業が展開されたという。単なる観光振興ではなく、温泉を軸にした地域活性化と産業創造をどう進めるか。その実践の成果が、この日の報告会で共有された。
続いて、静岡県経済産業部新産業集積課参事の太田吉紀氏が、2025年度の取り組み全体を説明した。ICOIフォーラムは会員数が167から209へ増加し、企業、金融機関、大学など多様な主体が参画するプラットフォームとして広がりを見せた。温泉×食、ビジネスツーリズムなどをテーマにしたセミナーやマッチングイベントも実施され、温泉を“単体の資源”ではなく、他分野と掛け合わせて新しい価値を生む基盤づくりが進んでいることが印象的だった。
特に注目されたのは、「温泉旅館オフィス化事業」。旅館の空きスペースをオフィスとして整備し、首都圏などの企業に入居してもらうことで、旅館には新たな家賃収入を、企業には“温泉入り放題”というユニークな働く環境を提供する。さらに、入居企業が地域課題の解決にも関わることで、地域経済の活性化につなげようという発想だ。すでに伊豆の国市の旅館に東京の企業が第一号として入居しており、AI、観光、ヘルスケア関連企業などの視察も進んでいるという。温泉旅館を「泊まる場」から「働く場」「地域課題解決の場」へと再編集する試みは、今後の伊豆の大きな可能性を感じさせた。
基調講演では、株式会社温泉資源庁Chief Medical Officerの稲葉俊郎氏が「温泉の新しい可能性」と題して登壇した。
稲葉氏は、医師としての長年の経験を踏まえながら、西洋医学が主に「病気学」であるのに対し、これからは「健康学」の視点が必要だと指摘する。健康とは単に病気がない状態ではなく、身体・心・社会的つながりが満たされた“ウェルビーイング”の状態であるという考え方だ。そのうえで、温泉は自然、エネルギー、人のつながり、そして深いリラックスをもたらす場として、まさに健康を支える装置そのものであると語った。
講演の中で印象的だったのは、温泉を「地球がつくった病院」と表現した点である。温熱作用、水圧作用、含有ミネラル、飲泉、さらに自然環境や食、滞在体験まで含めて、温泉地には人間の自然治癒力を引き出す多層的な要素が備わっている。とりわけ、今後重要になるのは「心への作用」ではないかとし、自律神経の調整や不眠、うつ状態への可能性にも言及した。また、温泉資源を濃縮し、運搬・保存を可能にする「クラフト温泉」の技術にも触れ、温泉を地域の中だけで消費するのではなく、世界へ展開できる資源として捉え直す視点も提示した。温泉は観光資源であるだけでなく、平和・幸福・健康を支える日本の基盤産業になり得る――そんな大きな構想が示された講演だった。
成果報告会では、補助事業に採択された事業者による実践報告も行われた。株式会社Huber、ゆうだい温泉株式会社、一般社団法人三島市観光協会、東海大学、株式会社イノベーションパートナーズ。
株式会社Huberは、「ウェルネス半島マーケティング戦略」をテーマに、伊豆を“温泉リゾート”ではなく“ウェルネス半島”として捉え直す視点を提示した。温泉、サウナ、スポーツ、伝統農法、食、アクティビティなどを面として組み合わせることで、オフシーズンも含めた観光の再設計が可能になるという提案である。伊豆本来の価値に立ち返り、それを若い世代やインバウンドにどう伝えるかという課題意識は、JWMが考えるJウエルネスの方向とも重なるものがあった。
また、ゆうだい温泉株式会社は、スポーツと温泉を組み合わせた「スポ湯プロジェクト」を紹介。アスルクラロ沼津の選手らと連携し、子どもたちや保護者に対して、運動後のリカバリー、食事、入浴をセットで体験してもらうプログラムを実施した。雨や設備トラブルなどで予定変更も重なったが、それでも「回復教育」の大切さが、特に保護者に強く伝わったという報告は興味深い。温泉を“癒し”だけでなく“地域の回復インフラ”と捉える視点は、新しい温泉活用の方向性を示していた。
さらに、三島市観光協会は、森林浴・温泉・食を組み合わせた健康回復プログラムを報告した。箱根西麓の森林資源を活かした森林浴と、温泉、健やか御膳を組み合わせることで、観光客だけでなく地域住民にも向けたウェルビーイング体験を設計している。ここでも、温泉単体ではなく、地域の自然や食と組み合わせることで価値を高めていく考え方が一貫していた。
今回の発表会を通じて見えてきたのは、温泉の価値を「入浴」だけにとどめず、地域産業、観光、働き方、食、スポーツ、健康づくりへと拡張していく流れである。
伊豆はすでに、圧倒的な自然、地形、温泉、食という資源を持っている。問われているのは、それらをどう現代の文脈で再編集し、新しい産業やサービスへつなげるかだろう。ICOIプロジェクトは、その実験場として着実に歩みを進めている。温泉は、地域の過去の遺産ではない。人の心身を整え、地域をつなぎ、未来の産業を生む可能性を持つ資源である。静岡・伊豆から始まるこの動きは、日本のウェルネス産業にとっても重要な示唆を含んでいる。
温泉の価値を、地域産業の未来へ~静岡県「ICOIプロジェクト成果発表会」開催
