一軒の宿の繁盛だけでは、温泉地は残らない ~ 北海道の温泉地が地域を越えて取り組む「ONSEN JOURNEY®」

一軒の宿の繁盛だけでは、温泉地は残らない

北海道の温泉地が地域を越えて取り組む「ONSEN JOURNEY®」

北海道岩内町で2026年8月10日、「ONSEN JOURNEY® SUMMIT 2026」が開催された。テーマは「温泉をまもる、温泉でつなぐ。」。洞爺湖温泉、知床・ウトロ温泉、養老牛温泉、川湯温泉、湯の川温泉から温泉地の担い手が集まり、地域を越えて温泉の未来を考えた。地域や宿の仲間とともにONSEN JOURNEY®に取り組む円山連携会議代表の髙島将人氏に、その背景と目指す姿を聞いた。

 

消えていく小さな温泉地をつなぐ

髙島氏は温泉業に携わるなかで、後継者不足などによって、宿や温泉地が失われていく姿を見てきた。旅館が一軒しかない地域や、家族で営む小さな宿は、情報発信、人材確保、設備投資などを単独で担うことが難しい。自分たちの宿だけが繁盛しても、温泉地そのものが失われれば、宿も存続できない。そうした危機感を各地の担い手と共有するなかから生まれたのが、ONSEN JOURNEY®である。

源泉をともに守る「座組」

地域を越えた連携へと発展する前に、その原点の一つとなったのが、岩内での源泉を守る取り組みだった。髙島氏が岩内町で旅館を営むなかで直面したのが、地域の宿が利用する源泉を、誰がどのように守っていくのかという問題である。

岩内町が管理する源泉を将来にわたって使い続けるには、設備の点検や維持が欠かせない。髙島氏によると、当時は旅館側に、温泉が供給されることを当然と考える空気があり、設備点検などをめぐって行政との認識にも隔たりがあったという。髙島氏は旅館と町の間に入り、双方の事情を伝えながら、源泉をともに守る関係づくりを進めた。現在は、温泉利用事業者、岩内町、岩内観光協会で構成する円山連携会議を通じ、地域の課題を官民で話し合っている。

重視するのは、誰か一人の熱意だけに頼らず、担当者が替わっても続く「座組」を残すことだ。温泉を地域共有の資源として捉え、それを守る責任も関係者で分かち合う。

なぜ髙島氏は岩内にこだわるのか

髙島氏は北海道島牧村に生まれ、小学校卒業から元を離れて札幌で暮らした。その後、宿の仕事を学ぶため、有馬温泉の老舗旅館で修業した。そこで学んだのは、旅館の運営だけではない。宿は温泉地の一部であり、湯、まち、文化、人との関係を理解しなければ、宿だけを持続させることはできないという考え方だった。

その後、岩内へ移った髙島氏は、家業をそのまま受け継ぐのではなく、33歳で父親から旅館事業を買い取った。自ら責任を負う経営者として、岩内に根を下ろす道を選んだのだ。島牧、札幌、有馬と異なる土地を歩んできたからこそ、温泉、食、自然、人のつながりなど、岩内にある価値をあらためて見いだすことができた。その経験が、宿だけでなく地域全体を守り、次へつなごうとする現在の活動の原点となっている。

先人と仲間から生まれたONSEN JOURNEY®

ONSEN JOURNEY®は、髙島氏一人の発想から突然始まったものではない。温泉を守り、地域をつないできた先人たちとの出会いから、多くの気づきと関係が受け継がれてきた。そこに北海道各地の温泉関係者が地域を越えて加わり、それぞれの経験や課題を持ち寄ることで、現在の取り組みへと育っている。ONSEN JOURNEY®では、地域を越えて共通のブランドを掲げ、温泉地同士が顧客を紹介し合い、発信力や経営の知恵を共有する。将来は、それぞれの土地の食、文化、体験、商品をつなぎ、各地を旅するきっかけをつくることも構想している。

宿同士は本来、競争相手でもある。髙島氏は「宿の敵と書けば、宿敵です」と笑う。それでも、先人から受け継いだつながりと、旅館業を通じて築いてきた人間関係を一つの起点に、地域の垣根を越え、多くの仲間が関わる取り組みへと広がっている。

温泉を一つの基準で選別しない

髙島氏は、源泉かけ流しだけを「本物の温泉」とするような見方にも慎重だ。地域や施設の条件によっては、加温、循環、消毒などが必要になる場合もある。資源を守りながら、安全に多くの人へ開くことも、温泉文化を継承する方法の一つだからだ。特定の条件を満たす温泉だけを価値あるものとして選別すれば、地域の共同浴場や、そこで育まれてきた人々の記憶が取り残されかねない。泉質、歴史、管理方法はそれぞれ異なる。その違いを認め、現場で守ってきた人から学ぶことが必要だと髙島氏は話す。温泉は、湯に入ることだけで完結しない。土地の自然や食、文化、歴史、人の交流までをつなぐものだ。ONSEN JOURNEY®が目指すのは、温泉を入り口に各地を巡り、その土地の物語や人に出会う旅である。

「普通に楽しく、普通にお金が落ちる」地域へ

髙島氏にとってウェルネスは、特別なプログラムを新しくつくることだけではない。その土地に当たり前にある温泉、食、自然、暮らしを、当たり前に感じられることだという。ただし、地域資源を無料または過度に安価なまま提供し続ければ、次世代へ残すことはできない。地元の食や温泉に適正な価値を付け、外から訪れた人が使ったお金を、雇用や設備、文化の維持へ循環させる必要がある。

ONSEN JOURNEY®に関わる人々が目指すのは、「普通に生きて、普通に楽しくて、普通にお金が落ちる」温泉地だ。誰か一人の無理や自己犠牲によって守るのではなく、地域で暮らす人が仕事を続け、必要な投資を行い、次の世代が引き継げる環境をつくる。

 

JWMの視点――温泉を守ることは地域の日常を守ること

ONSEN JOURNEY®が示すのは、温泉を観光商品として売り出すことだけではない。温泉を支える人、源泉を管理する行政、地域の食や文化、訪れる人を結び直し、地域全体が続く仕組みをつくる試みである。個人の情熱を、地域や世代を越えて続く仕組みへ変えていく。そのためには、先人から受け継いだ知恵と、立場や地域を越えた関係を、次の担い手へ手渡せる形にする必要がある。

温泉を守ることは、湯だけでなく、その土地の日常、記憶、仕事、人の関係を守ることでもある。岩内で開かれた対話が、各地の小さな温泉地をどうつないでいくのか。ONSEN JOURNEY®の次の展開が注目される。

取材・文/江渕 敦(J-Wellness Media)

取材協力・写真提供/円山連携会議